1901 | テキサスのスピンドルトップで当時最大規模の油田が発見され、 ガルフオイルが創設される。 |
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1903 | ガルフのロゴであるオレンジ・ディスクが採用される。 |
1906 | オクラホマのタルサで油田発見。 |
1913 | 世界初のドライブイン型サービスステーションを開設。 |
1937 | クウェートの油田開発に成功。 |
1950 | いわゆる石油メジャー「7シスターズ」の一員となる。 |
1953 |
石油化学分野に進出。化学合成ベースオイルPAOの製造開始。 |
1966 | ガルフハイドロフィニッシング法(潤滑油ベースオイルの水素精製法)を開発。 日本鉱業 水島製作所、三菱石油 水島製油所に導入。 |
1969
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ガルフ潤滑油水素化処理法(高粘度指数ベースオイル製造法)の開発。 出光興産千葉製油所に導入。 |
1970 | 沖縄ターミナル(原油受け入れターミナル)建設・稼働。 |
1971 | 沖縄石油製油所建設・稼働。 |
1984 | シェブロンに吸収合併される。同時に旧ガルフ商事部門(トレーディング・潤滑油)であったGOTCO(Gulf Oil Trading Company)がシェブロンから分離・独立、ヒューストンに本社を置く。GOTCO,Ltd.は潤滑油についてのみ「ガルフ」商標の使用権を取得。 |
1987 | シェブロンより「ガルフ」商標権を買取り、GOTCO,Ltd.はトレーディング業務を含む全体の事業にガルフ商標権の使用が可能となる。 |
1989 | 潤滑油部門をGulfInternationalLubricants,Ltd.と改称。 |
1992 | オーストリア国営石油会社 OMVと合弁契約を締結。本社ウィーン、社名はGulf Oil International GmbH となる。 |
1996 | OMVとの合弁契約を解消。 日本の法人がゴトコ・ジャパンと改称。 |
1997 | 本社機構をイギリス・ロンドンに移し、Gulf Oil International, Ltd.と改称し、
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ガルフの現在 | ガルフは、広く知られているガルフブランドのシンボルの下、結束し成長し続ける潤滑油を主たる業務とする会社です。 ガルフブランドは現在、100ヶ国以上の国々において、おもに潤滑油と燃料製品を供給、サービスを行っています。各事業の規模や内容は、様々ですが、歴史的で象徴的なガルフ ブランドはそれら全てのビジネスを結びつけています。 |
1971年のアメリカ映画『栄光のル・マン』はガルフの名を世界に広めた記念すべき作品。この映画の印象を尋ねると、多くの観客はおそらくポルシェ917、ブルーとオレンジのガルフカラー、そしてスティーブ・マックイーンと答えるはず。 もし観たことがなければ、今すぐレンタルビデオ店に走ることをおすすめする。
フランス西部、パリから西南に約200キロのところにある古い小さな町、ル・マン。人口10万人のその静かな町が6月なかばのある日、突如30万人に膨れ上がる世界最大のオートレース“ル・マン24時間レース”の幕が切って落とされる日なのだ。
この映画は、自らもレーサーとして活躍していたスティーブ・マックイーンが主演。“ル・マン24時間レース”の栄光に賭けるレーサーたちの愛と孤独をドキュメンタリー・タッチの映像でとらえた超大作である。
俳優としてのキャリアと、レースへの情熱のすべてをこの映画に注ぎ込んだマックイーンは、自分の主宰するソーラー・プロの総力を挙げて1970年6月、実際のレースを皮切りにクランク・イン。撮影は約5カ月間にも及んだ。使用したカメラ計90台。撮影に使ったマシンはポルシェ、フェラーリなど含め25台。レースを忠実に再現するために集められたレーサーは、第38回のル・マン優勝者リチャード・アトウッドをはじめ世界トップクラスのプロ56名。マックイーンがいかにこの映画に賭けていたか、これらの数字だけても容易に計り知ることができよう。さらにレース本番に出場したポルシェ908にも3台のカメラを積み込んで、全コースを疾走しながら撮影するという離れ業までやってのけた(このポルシェは8位に入賞している)。直線を350キロで走る臨場感やエンジンがうなり声をあけて疾駆するリアリティを実現させた裏には、こんな逸話も隠されていたのだ。
マックイーンはかなりの完全主義者だったため事実上、製作、脚本、監督そして主演の4役を兼ねているほか、ドライバーとしてもタイトルに名を連ねている。
(映画『栄光のル・マン』パンフレットより抜粋)